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昭和20年代後半
父と職人さんで材の検品一番左に写っているのが父です。職人さんと番頭さんが板を持ち父が検品している様子が解かります。
大阪市大正区小林町にて製材所を営んでいました。
若かりし父親の青春期です。
(←写真)
昭和38年頃の服部製材所です。
写真に写っているのは小生
(服部雅章)です。と母(服部和子)です。年齢は5歳と28歳です。
すごく若かりし頃を思い出します。
当時生活レベルは決して高くなく、質素な生活を送っているのをこの写真を見ると思い出します。
当時は広葉樹専門主にホオ・カツラ材を扱っていたと亡き父から聞いています。(→写真)


昭和41年
大阪市大正区小林町から当時の大阪市住吉区平林北2-7-75へ引越しする為に新工場を建設している所が写っています。
当時にしては珍しい天井グレーンの設備を備えていました。(←写真)

昭和50年代初頭
材木屋という商売が隆盛を極めていた時代でした。
フォークリフトも当時の最新式を購入していました。
ただし今と違うのは製材は全て外部に依頼し週に2~3日製材工場に出向き墨付けの仕事をしていました。
当時スプロースの大径原木(直径2メータクラス)を毎月5本程度製材し、服部商店の稼ぎ頭になっていました。
(←写真)

昭和60年代初め
現在の岸和田本社の土地を購入する為に亡祖父と父親が岸和田市木材町16-1の土地を見に来ているところの写真です。
当時、既に木材業界は低迷期に突入していましたが、祖父も父も土地を買う事が大好きで、材木屋は質素にしていなければならいが、ただし土地は無借金で買うものだし、商いとは『儲けるもので無く損しないことが一番だ』こう言うものだと祖父が父にやかましく訓示していました。
当時から守ってきた家訓『身分にあった生活が有り、商売が有る』をずっと守ってきた事が今の服部商店に繋がったと思います。
(←写真)
現在の服部商店本社です。(写真→)
約1000坪の敷地に製材工場を備え、お客様の細かい要望にも即お答え出来る仕組みを備えています。
6回に分けて工事をして今の本社工場が出来上がりました。
服部の80年の重しを感じ、社長就任13年目を終え毎日一生懸命頑張っています。
